黄昏時にあの世とこの世が繋がるのは、暗いからじゃなかった

科学

夕方の、明るくもなく暗くもない幻想的な時間を経験したことはないだろうか?
昼でも夜でもなく空だけが明るく残っている時間帯を、僕らは黄昏時と呼ぶ。

この言葉はもともと、時刻の名前ではなかったんだ。

そして黄昏時には、あの世とこの世が繋がるという言い伝えなんかがある。
怪談やアニメで聞いたことがある人も多いと思う。

今回はその黄昏時というワードで記事を書いてみてほしいと、Xのフォロワーさんからのリクエストを頂けたので調べてみた。

ただ調べていくと、興味深いことにこの言い伝えは人間の目の仕組みを正確に言い当てていた。
この30分に何が起きているのかを、未来を覗き見るつもりで確かめてみよう。

黄昏時の語源をたどると、「そこにいるのは誰だ」に行き着く

薄暗い夕方の道をこちらへ歩いてくる、顔の見えない人影

黄昏は、もともと誰そ彼という字で書いた。
この誰そ彼とは、「そこにいるのは誰だ」という意味なんだ。

夕方に向こうから人が歩いてくる。
そこに人がいるのは分かるのに、それが誰なのかが分からない。

そこにいるのは誰だ、と聞き返すしかない時間帯があったんだ。
その問いかけが、そのまま時刻の名前になった。

僕らが今使っている「たそがれ」は、この問いがすり減った形なんだ。

そしてこの言葉は周りが暗いということを一言も言っていない。

言っているのは見分けられない、見分けがつかないということだけだ。
昔の人は暗さではなく、見分けられなさのほうに名前をつけたんだ。

黄昏時、逢魔が時、彼は誰時―この違いがややこしい

夕暮れから夜へ移り変わっていく3つの空を並べた風景

この黄昏時の他にも同じ夕方には名前がいくつもある。
逢魔が時、大禍時、そして彼は誰時…。

逢魔が時(おうまがとき)は魔に逢う時間で、大禍時(おおまがとき)は災いの時間。
どちらも同じ時間帯を、別の角度から呼んだ言い方なんだ。

ややこしいのが彼は誰時で、これは「かわたれどき」と読む。
誰そ彼とほとんど同じ意味なのに、指しているのは明け方のほうだ。

朝と夕方で言葉を分けているのに、意味はどちらも「あれは誰だ」
人の顔が分からなくなる時間が1日に2回あって、そのどちらにも別々の名前がついている。

そこまでして名前をつけるものだろうか、と僕は思う。
たぶん、それだけ毎日困っていたんだ。

あの世とこの世が繋がると言われてきた理由を、笑い飛ばせない

夕暮れの見晴らし台に立つ羊さんと、輪郭のはっきりしない2つの人影

昔から黄昏時にあの世とこの世が繋がる、という言い伝えがある。
今でも夕焼けの写真に添えられるくらい、よく知られている話なんだ。

寺の法話でも、この時間は境目が薄くなると語られることがある。
昔話の妖怪が出るとされてきた時刻も、だいたいこのあたりのことを指すことが多い。

僕はこの手の話を、迷信やオカルトという言葉で表すのはもったいないと思うんだ。
同じ時間帯に同じことを感じた人が、何世代もいたからこそ生まれた言葉なんだ。

ただ、これを「昔の人は科学を知らなかったから」で切り捨てると読み違えてしまう。
薄くなっている境目は、実はたしかにあるんだ。

ただしそれは、あの世とこの世の境目という意味ではない。
それが一体何と何の境目なのかは、人間の目の中を見るとはっきりする。

目から消えていたのは光ではなく、差のほうだった

同じ夕方の風景を、明暗差の大きい被写体と小さい被写体で並べた比較図

人の目には、2種類の細胞がある。
明るい場所で働くのが錐体細胞(すいたいさいぼう)だ。

視界から入る色や細かいところを見分けているのは、この錐体細胞の担当なんだ。
暗い場所で働くのは桿体細胞(かんたいさいぼう)のほうで、こちらは色が分からない。

夕暮れは、その担当が入れ替わっていく途中なんだ。
暗くなるにつれて働きが落ちるのは、明るい場所の担当をしている錐体細胞のほうだ。

暗くなるにつれて瞳孔が広がって、像もぼやけていく。
ここまでの話はただ暗いから見えないという話に聞こえると思う。

でも実際に科学的に測ってみると、そういう話ではなかった。

北里大学の川守田拓志先生が、同じ夕暮れの明るさで2種類のものを測った実験をしたんだ。
測ったのは、背景とくっきり分かれて見えるものと、背景になじんで見えるものだ。

くっきり分かれているほうは、明るい時の視力1.1だった計測値が0.9までしか落ちなかった。
一方で背景となじんでいるほうは、もともと0.7だったのが0.3まで落ちている。

同じ暗さの中にいるのに片方の視力はほとんど落ちないが、もう片方は半分以下になるんだ。

つまり視力を奪っているのは暗さそのものではなく、背景と溶けてしまうかどうかのほうなんだ。

人の顔は、この差がとても細かい。
だから風景より先に、顔だけが背景に沈む。

そこにもう一つ重なるのが、正面から入ってくる夕日だ。
ロードサービスで有名なJAFのテストでは、西日を受けた運転席から信号機がほとんど見えなくなっている。

視界の中に強すぎる明るさが1点あると、残りが沈む。
黄昏時に世界を隠しているのは暗さではなく、明るさの差のほうなんだ。

ついでに色も入れ替わる。
暗くなるにつれて赤が沈み青が浮き上がる現象があって、これをプルキンエ現象と呼ぶ。

赤が沈むというのは、赤い服の人ほど見つけにくくなるということだ。
「そこにいるのは誰だ」と聞くしかなかったのは、目の中でこれだけのことが同時に起きていたからなんだ。

自動運転の車は、この時間の人を見つけられるのだろうか

西日を正面から受けて走る自動運転車の車載カメラ視点

これは人間だけの話ではない。
カメラで前を見ている自動運転の車も、同じ時間帯に問題を抱えている。

そしてこれを解決するのはまだ難しい。
2020年の精密工学会で、西日による急ブレーキを扱った発表があった。

これは逆光がカメラの距離測定と物体の認識を狂わせる、という内容なんだ。
しかもこれを出しているのは、自動車の認証審査をする側だ。

通していいかを判断する側が、懸念として持ち出している段階なんだ。
解決済みという話ではない。

人の目が困る条件で、機械の目も同じように困っている。
どんなにセンサーを増やしても、明るさの差そのものは消えないからだ。

僕らが顔を見分けられなくなるのと同じ時間に、車のカメラも人を見失う。
毎日通っている帰り道の話なんだ。

昔の人が誰そ彼と呼んだ時間は、今日の夕方にもそのままある。
ただ、その時間を見ているのが人の目だけではなくなった。

次にこの30分を見分けられるようになるのは、僕らではなく機械のほうかもしれない。

今回も未来を覗き見れたかな?それじゃ、バイバイ!

参考にした資料

・夕暮れ時の視認性研究レポート:北里大学 医療衛生学部 川守田先生に聞く視覚から見る夕暮れ時の特徴(おもいやりライト運動事務局, 2014年3月6日)

https://www.omoiyari-light.com/LAB/INTERVIEW/000707.html

・JAFユーザーテスト 正面からの西日を遮る効果的な方法は?(JAF Mate Online, 2022年10月13日)

https://jafmate.jp/safety/usertest_20221013.html

・自動運転車の安全性確保に向けたステレオカメラによる測距及び物体認識への逆光の影響に関する研究(精密工学会 2020年度春季大会, 中川正夫ほか)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/pscjspe/2020S/0/2020S_590/_article/-char/ja

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