地学

青ヶ島に人が住んでいるのはすごいと思っていたら、一度「無人島」になっていた

火口の中に丸山がある青ヶ島を、外輪山のふちから見下ろす羊さん

青ヶ島という島を知っているだろうか?
伊豆諸島の島で、八丈島よりさらに南にある島なんだ。

僕は青ヶ島には行ったことがないけど、この島のことは元々知ってた。
そして、火山の島に人が住んでるってすごいなって思ってたんだ。

青ヶ島は、大きな火口の中にもう1つ山がある火山の島だ。
ところがこの島は、1785年の噴火で一度無人島になっている。
それでも約50年後に人が戻ってきて、今も人が住んでいるんだ。

今は、およそ170人がこの島で暮らしている。
これは噴火の前に島にいた327人の、半分ほどの数になる。

今回はそんな青ヶ島の形と噴火の歴史、そして今の島の姿を一緒に見ていこう。
それでは、僕と一緒に未来を覗き見てみよう。

目次
  1. 火口の中にもう1つ山がある、青ヶ島の「二重カルデラ」
  2. 1785年の噴火で、青ヶ島は一度無人島になった
    1. 大きな噴火の5年前から、島の池がおかしくなっていた
    2. 1785年、丸山ができて、島から人がいなくなった
  3. 無人島になった青ヶ島に、なぜ今は人が住んでいるのか
  4. 青ヶ島の火山は今も、島のあちこちで湯気を上げている
  5. 火山のそばで、島の暮らしは今日も続いている
  6. 参考にした資料

火口の中にもう1つ山がある、青ヶ島の「二重カルデラ」

島のふちに囲まれた大きなくぼ地と、その中に盛り上がる丸山を描いた青ヶ島の断面イラスト

人が住んでいる青ヶ島は、島のてっぺんに大きな火口があって、その中にもう1つ小さな山がある島なんだ。
島の大きさは、長いほうで約3.5km、短いほうで約2.5kmある。

ただ、僕らに見えている島は、海の底からそびえる大きな火山のてっぺんの部分でしかない。
その火山の土台は、海の底で長さ15kmもあるんだ。
土台の長さの15kmは、見えている島の長さの4倍ほどになる。

そして島のてっぺんには、直径1.5〜1.7kmの大きな火口がある。
島の短いほうの幅が約2.5kmだから、その半分より大きい火口なんだ。
島では、この火口は池の沢火口と呼ばれている。

その火口の中に、丸山という小さな山がある。
丸山は、噴火で降ってきた岩や石が積もってできた山だ。

島のてっぺんにある大きなくぼ地は、とても大きな火口で、カルデラと呼ばれることもある。
この「大きなくぼ地の中にもう1つ山がある」形から、青ヶ島は「二重のカルデラ」の火山の島と紹介されているんだ。
僕はこの形を知ったとき、不思議な形だと思った。

じゃあ、島のまん中の大きなくぼ地はどうやってできたのか。
3000〜2000年前ごろ、マグマと水がぶつかる爆発が続いて、このくぼ地ができたんだ。
このころには噴火のあとに山の一部が崩れて流れ下る出来事も起きて、最終的に今のくぼ地の形になった。

ここまでで、くぼ地のでき方はなんとなくつかめたと思う。
そうなると次に気になるのは、中にある丸山がいつできたのか、だよね。

1785年の噴火で、青ヶ島は一度無人島になった

青ヶ島では1780年から5年ほど噴火が続き、1785年の噴火で多くの人が亡くなった。
そして、残った人は島を離れたんだ。

大きな噴火の5年前から、島の池がおかしくなっていた

噴火の前、くぼ地の中には大池・小池という池があった。
1780年、この島で地震が約1週間続いたんだ。

そのあと新しい火口ができて、たくさんのお湯が湧き出した。
池が大きくなり、お湯の温度が上がり、まわりの植物が枯れていった。

そして1783年には、赤く焼けた石が島中に降り、61戸が焼け、7人が亡くなった。
降ってきた石は、大きいもので約2mあったんだ。
大人の背丈より大きい石が降ってくると考えると、その怖さが伝わると思う。

1785年、丸山ができて、島から人がいなくなった

1785年の噴火と、島から逃れる人たちを描いたイラスト

1780〜1785年の噴火で、岩や石が降り積もって丸山ができた。
このとき流れ出た溶岩が、大池・小池を埋めてしまったんだ。
だから、前触れが出た池は今はもうない。

1785年の噴火では、当時の島民327人のうち、130〜140人が亡くなったと推定されている。
これは島にいた人の、およそ4割にあたる。

生き残った人は、八丈島へ逃れたんだ。
そのあと青ヶ島は、約50年のあいだ無人島になった。

映画にも似たようなシーンがあったね。
それが長い時間をかけて起きてた現実的な話だったと思うと驚く。
それくらいの災害が起きたら、無人島になっちゃうよね。

じゃあ、逃げた人たちは島に戻れたのか。
次はその話をしていこう。

無人島になった青ヶ島に、なぜ今は人が住んでいるのか

八丈島から青ヶ島へ戻ってくる島の人たちを描いたイラスト

一度無人島になった青ヶ島に今も人が住んでいるのは、約50年後に島の人たちが八丈島から戻ってきたからなんだ。
戻ってきたときの人口は、約240人だった。
これは噴火の前の327人の、4分の3ほどになる。

そのあと人口は増えていき、1881年には一番多い754人になった。
戻ってきたときの約240人の、3倍ほどの数だ。

そして今は、およそ170人が暮らしている。
一番多かったときの、4分の1にも届かない数なんだ。
島には「還住(無人島になった島に人々が戻り住むこと)の碑」も残っている。

それにしても、大勢が亡くなった島に、なぜ戻ろうとしたんだろう?

戻った理由は、僕が調べた公的な資料には書かれていなかった。
僕は、やっぱり故郷に戻りたいからだったんじゃないかと思っている。
もちろんこれは僕の推測で、本当の理由はわからない。

ただ、ここまで読んでくれた人なら、青ヶ島の火山がまた噴火したら危ないんじゃないかと心配になると思う。

青ヶ島の火山は今も、島のあちこちで湯気を上げている

丸山の斜面にある噴気孔から立ちのぼる水蒸気

青ヶ島の火山は、止まっていない。
今も高い温度の湯気が出ている場所があるんだ。

高い温度の湯気が出ているのは、丸山の西側、くぼ地のふちの崖の下、それと島の北の端の近くだ。
くぼ地のある池之沢地区には、水蒸気が噴き出す穴がたくさんある。
この穴は、島では「ひんぎゃ(青ヶ島で、水蒸気が噴き出す穴の呼び名。語源は「火の際」。)」と呼ばれていて、語源は「火の際」なんだ。

島にはその熱を使ったサウナがある。
そして地熱を使った釜で、卵やサツマイモなどを蒸すこともできるんだ。

こうして地域の特産のような形にするのはいいことだと思う。
僕も行ってみたい。

じゃあ、青ヶ島の火山はまた噴火するのか。
次にいつ噴火するかは、分かっていないんだ。

1780年に前触れが出た大池・小池は、溶岩で埋まって今はない。
だから次の噴火の前に、同じ池の変化を見ることはできないんじゃないかと僕は思っている。

火山のそばで、島の暮らしは今日も続いている

青ヶ島のくぼ地にある丸山は、島から人をいなくした噴火でできた山だった。
それでも人は約50年後に戻ってきて、今もこの島で暮らしている。

そして今もひんぎゃの湯気が上がり、その熱がサウナや釜に使われているんだ。
少し怖さがあるから、すごいなって僕は思う。

火山は今も湯気を上げていて、島の暮らしもそのすぐそばで続いている。
この先この島がどうなっていくのかは、まだ誰にも分からないんだ。

今回も未来を覗き見れたかな?それじゃ、バイバイ!

参考にした資料

・青ヶ島(気象庁 各火山の解説)
・青ヶ島 有史以降の火山活動(気象庁)
・日本の火山 vol.39 青ヶ島(内閣府 防災情報のページ、2016年)
・青ヶ島(GO TOKYO 東京の観光公式サイト)
・東京の島 観光ルート(東京市町村自治調査会)

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この記事を書いた人

sh33p

生き物・宇宙・地震…気になるサイエンスに手を出しまくる好奇心の塊🐑
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コメント(2件)

  1. mikumo より:

    とても興味深いですね。
    この記事を読んでて、
    島の人は物資はどうしてるのかな?

    とか、
    行政サービスはどうやって利用しているのかな?

    とか、
    違うことも色々と考えますね。

    ひとつ、勉強になりました。

    1. sh33p より:

      ありがとうございます!

      離島に住むというのは様々な問題にも直面すると思いますが、それでも人は強く生きていけるんだなと、あらためて実感できたと思いました。

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