日本にはたくさんの離島があるよね。
沖縄の離島、瀬戸内海の島々や伊豆諸島などなど…。
旅行先として名前が挙がる島は多いけれど、その中でも行くのが日本一難しいと言われている島があるのを知っているかな?
伊豆諸島の最南端、東京都心から約360km離れた場所に浮かぶ青ヶ島。
人口はおよそ160人で、日本で最も人口が少ない村だ。
でもこの島、ただ小さくて不便なだけの島じゃない。
島全体がひとつの巨大な火口で、しかもその火口の中に、もうひとつ別の火山がそびえ立っている。
今回は、この不思議な二段構えの火山島、青ヶ島の二重カルデラの正体を、じっくり紐解いて過去と未来を覗き見てみよう。
そもそも青ヶ島ってどんな島?
青ヶ島は、伊豆諸島に属する火山島だ。
八丈島からさらに南へ約70km、船なら3時間ほどかかる。
しかもこの船、波が高いとすぐに欠航してしまい、就航率はおよそ50%。
ヘリコプターという選択肢もあるけれど、9人乗りとかなり小さく、予約はすぐに埋まってしまう。
つまり行きたいと思っても、簡単には行けない島なのだ。
周囲は黒潮の浸食でできた高さ250mほどの断崖に囲まれていて、船を寄せられる場所も限られている。
この地理的な厳しさが島の独特な景観と歴史を、今なお色濃く残す理由のひとつになっている。
火口の中に、もう一つの火山がある

青ヶ島の一番の特徴は、島全体がひとつの巨大な火山だということだ。
島を取り囲む断崖の内側には外輪山と呼ばれる尾根が続き、その中心には池の沢と呼ばれる大きなくぼ地が広がっている。
普通ならここで終わりのはずなのだけれど、青ヶ島は他とは違う。
その池の沢のさらに中心に、丸山というもうひとつの小さな火山が、こんもりと盛り上がっているんだ。
外側に大きな火口、その中にもう一段小さい火山。
これが二重カルデラと呼ばれる構造で、世界的に見てもかなり珍しい地形だと言われている。
島の最高地点である大凸部(おおとんぶ、標高423m)に登ると、この入れ子状の地形を一望できる。
なぜ火山の中に火山ができるのか
では、なぜこんな入れ子構造ができあがったのだろうか。
カルデラという地形自体は、実はそう珍しいものではないんだ。
地下のマグマだまりが噴火によって空になると、その上に乗っていた地面が支えを失って、大きくすとんと落ち込む。
これが基本的なカルデラのでき方だ。
問題はここからだ。
一度できたカルデラの内部で、もう一度、別の噴火が起きることがある。
地下からふたたびマグマが上がってきて、へこんだカルデラの中に新しい火山を作ってしまうのだ。
青森県の十和田湖もこのパターンで、大きなカルデラの中に、噴火によって新しくできた中湖という地形が入れ子状に存在している。
青ヶ島の丸山も、同じ理屈でできている。
島全体を形作った大きな噴火の後、そのカルデラの中でふたたび噴火が起き、丸山という新しい火山体が誕生した。
つまり青ヶ島は、一度の噴火では終わらず、二段階の噴火の記録がそのまま地形として残っている島なのだ。
1785年の大噴火が島を無人にした

この丸山を作った噴火こそ、青ヶ島の歴史を大きく変えた天明の大噴火だ。
噴火は1780年から断続的に続いていた。
1783年には焼けた石が降ってきて人家61軒がすべて焼け、7人が亡くなっているんだ。
そして1785年、決定的な噴火が起きた。
当時この島には327人が暮らしていて、そのうち130人から140人が命を落としたと推定されている。
生き残った人たちは70km離れた八丈島へ逃れ、青ヶ島はそのまま無人島になってしまったんだ。
噴火による溶岩とスコリア(軽石のような噴出物)が積み重なって、あの丸山という火砕丘ができあがったのは、まさにこのときのことだ。
島の景観を作った噴火は、同時に島の暮らしを完全に断ち切ってしまう出来事でもあった。
「還住」──半世紀かけて島に還った人々
無人島になった青ヶ島に、島民たちがふたたび住み始めるまでには、実に半世紀もの歳月がかかった。
八丈島に避難した人々は、何度も帰島を試みた。
しかし船の遭難や物資不足に阻まれ、簡単には戻れなかった。
それでも故郷への想いを絶やさず、1835年、名主の佐々木次郎太夫らを中心に、ようやく島民のほとんどが青ヶ島に戻ることができた。
この島に戻るという出来事は、単なる帰島以上の意味を込めて還住(かんじゅう)と呼ばれている。
身体が島に帰ってくるだけでなく、魂が息づく場所にふたたび住まうという意味が込められた言葉だと、島で暮らす人はその想いを語っている。
還住を果たした当初の人口は240人ほど。
そこから島の暮らしは少しずつ立て直され、明治時代には最大754人まで人口が増えたという記録も残っている。
その後、他の島々への人口流出もあり、現在の160人前後という規模に落ち着いていった。
この人口の推移そのものが、島が噴火から立ち直っていった歴史の証でもある。
今も、島は静かに息をしている

天明の大噴火から2世紀以上が経った今、青ヶ島で目立った噴火は起きていない。
それでも、この火山が完全に眠ってしまったわけではない。
丸山の斜面にはいくつもの噴気孔があり、今も水蒸気を主成分とする噴気が立ちのぼっている。
地熱も高く、この地熱を利用した地熱釜で、島の名物であるじゃがいもや魚を蒸して食べる文化もあるほどだ。
派手な噴火こそないものの、青ヶ島は今もたしかに生きている火山なのだ。
人々はその火山の上で、静かに、しかし確かに暮らし続けている。
今も観測され続けている、静かな火山

青ヶ島は気象庁の常時観測火山のひとつに指定されていて、1984年から地震計による連続観測が続けられている。
今のところ観測される地震の回数はごくわずかで、静穏な状態が続いているというのが現在の評価だ。
面白いのは、この島がまだ完全には解明され尽くしていないということ。
1987年に行われた空中磁気測量では、青ヶ島の南方の海底に、島とは別の磁気異常構造――つまりもうひとつ別の火山体があるかもしれない、という指摘がされている。
さらに島の東側の海底には、外輪山を持つ別のカルデラ(東青ヶ島カルデラ)の存在も確認されているんだ。
陸から見えている二重カルデラだけがこの火山のすべてではなく、海の下にはまだ知られざる地形が広がっている可能性がある。
もうひとつ興味深いのが、江戸時代の記録に残る噴火の前触れだ。
天明の大噴火が起こる約5年前の1780年、地震が群発し、島にあった大池・小池という水たまりの水位や水温が上がったという記録が残っている。
地震の群発→火口湖の異変→噴火、という流れがそのまま記録に残っているのは、火山学的にもかなり貴重な事例なんだそうだ。
ただし気象庁の資料には、次に噴火が起こるとしても同じ前兆が出るとは限らない、という指摘もある。
当時地表とつながっていた大池・小池のような浅い地下水は、今の青ヶ島には存在しないからだ。
過去の記録がそのまま未来の予測に使えるわけではない、というところに、火山という自然現象の難しさが表れている気がする。
火山の上で暮らすということ
大きな火口の中に、もう一つの小さな火山がある。
青ヶ島の二重カルデラは、二段階の噴火の記録がそのまま地形として刻まれた、地球のダイナミックな営みの証だった。
その営みは、一度は島を無人にするほどの大噴火を引き起こし、島民たちは半世紀という長い年月をかけて、その火山の上にふたたび暮らしを築き直した。
そして今も、島の火山は静かに息をしながら、人々の生活のすぐそばにあり続けている。
絶海の孤島という言葉だけでは語りきれない、火山とともに生きる島の姿が、青ヶ島にはあった。
今回も未来を覗き見れたかな?それじゃ、バイバイ!
参考にした資料
・青ヶ島について(青ヶ島村ホームページ)
https://www.vill.aogashima.tokyo.jp/office/outline.html
・青ヶ島火山地質図 解説(産業技術総合研究所 地質調査総合センター)
https://gbank.gsj.jp/volcano/Act_Vol/aogashima/text/exp07-2.html
・青ヶ島 有史以降の火山活動(気象庁)
https://www.data.jma.go.jp/vois/data/tokyo/322_Aogashima/322_history.html




コメント
とても興味深いですね。
この記事を読んでて、
島の人は物資はどうしてるのかな?
とか、
行政サービスはどうやって利用しているのかな?
とか、
違うことも色々と考えますね。
ひとつ、勉強になりました。
ありがとうございます!
離島に住むというのは様々な問題にも直面すると思いますが、それでも人は強く生きていけるんだなと、あらためて実感できたと思いました。